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http://q7ny3v.sa.yona.la/1600 |
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出だしのオクターブ指広げるメロディ、ナントカの凱歌みたいに勇ましくバーンババーンと弾くのが実姉と現妻の共通点。邦題「乙女の祈り」だぜ。
Re: 南無桃金飴ベッタリニョキニョキ
http://raru9x.sa.yona.la/33 |
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私は、実は著者のあとがき部分が一番好きだったりします。
別の本で、タジマ先生のモデルとなったであろう先生をお見かけしてびっくり。
だって本当にタジマ先生のイラストそのものだったのです。
http://gt7u9x.sa.yona.la/1184 |
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読んだだけではなんとなく覚えた気にならないからノートに書くわけだけど、書くのが遅いからものすごく非効率になってしまう。
目で文章を追う速度でノートが書ければいいのに。 むしろ読んだ時に頭に映った言葉がそのままノートになればいいのに。
教科書に書きこむのではなくて、教科書を頭の中で模写する感じ。 目で見た映像を切り取ってスクラップブックを作る感じ。
10年後ぐらいにはできてるといいな。
「目には目を、キ○タマにはキン○マを」 |
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やっぱり焼き鳥の皮の件、根に持ってるじゃんッ!w
ときめいてるところをぶち壊してすまないのですが |
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>スズカケノキの実
あれキ○タマに似てませんか
大きさといい毛むくじゃらなところといい
Re: http://raru9x.sa.yona.la/31
なんかトキめいちゃいますよね、自然の造形。 |
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得も言われぬ造形美を感じて、とりあえず拾わずにはいられなくなる衝動。
若干グロテスクなくらいがよかったり。なんなんでしょうね、あの感覚。
スズカケノキの実とかも味のある形をしてますよね。
干しても固くならないので乾き物コレクションには向いてませんが・・・
http://raru9x.sa.yona.la/31 |
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あっ!これモミジバフウって言うんだ!
以前イギリスに旅行で行った時、オーナメントみたいなのいっぱい下げてる木があっておもしろいなあって思ってたのです。
きっとたぶんコレだ。モミジバフウだ。
自然の造形ってすごい。
http://gt7u9x.sa.yona.la/1183 |
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自分が言ったことを、完全に忘れるようになる日も近いかなと思う。 気のせいかな。
今もたいてい3日前からは忘れてはいるけど、一応見れば思い出す。
3日よりも前にして、それっきりのはなし。
それはたぶん、どうでもいいね。
自転が地球より少し遅い惑星人になりたい |
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もし信頼できる医者に「君、必要ないなら寝なくても大丈夫だよ」なんて言われたら、一晩ぐらい寝ないでもいいかなと思う。
あ、別に寝なくていいんだ。 許可が出た、やったあ、なんて。
そしたらまる一日起きて、半日寝続けるかもしれない。 そのほうがしっくりくる気もする。
夜は、眠くもないのに寝ている。 ほとんど義務感や焦りで、流石に寝ないといけないだろうと思ってから寝ている。
義務感。 生きるのも死ぬのも義務だから、仕方がないと思う。 最近は笑顔も94%ぐらいは義務なんだから。
とにかく義務だから、ちっとも眠くないのに寝て、だから朝起きたら今度は眠たくて仕方がない。
起きるのも、義務。 この義務が一番嫌いで、これだけはたまに破る。 その次に嫌いなのは面倒な仕事。
あ、そうか。 生きるのと死ぬのは、権利か。
今日も元気に人力ワードサラダ。
僕が毎日しゃべるから、毎日がサラダ記念日。
サラダには、ドレッシング。 ごまがすき。 高カロリー。
Re: アクリルか…
http://q7ny3v.sa.yona.la/1599 |
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腹を立てていることを表現できるひとのことはただダッセと思うのが常であるが、
ちょっとうらやましくも有る。怒りって合理のないモノだからオトシマエが落ち着かないじゃん。
一旦だしちゃうとオレなんか腹立ちで掛けた迷惑以上の弁済してる気がするのね。
ケロっとして終わらす人がいる、うらやましくてやっぱり腹が立つ。
Re: より、変態らしく
アクリルか… |
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個人的には、無垢の金属は正義、削り出しは正義。
この手のオブジェはどうしても教育方面に振られがちなのがなんとも。
オレはたまに油差してチョロチョロ回してニヤニヤしながら酒飲みたいだけなんです。
あ、酒なら、スペクトラムアナライザでも飲めるぜ。
やや関連
すんごい気持ち悪い歯車の数々。
http://q7ny3v.sa.yona.la/1598 |
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「テロリスト」も「レイシスト」も罵倒する意味合いを持っているコトバだと思うのですけれど.例の団体の人も、その団体に「レイシスト」って叫ぶ方もどっちも結局ワルモノに見えて.
Re: 春の風
これ、たまに思います。 |
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Reply 思考の泡 Quote | |
私が死んでも何も変わらないが、私が死ぬことで、変わる何かが未来にはあるのだろうか。あるいは、私が生きて春を迎え続けることで、何か良いことでも起こるのだろうか。
起こるはずだと信じたい私の気持ちは、できれば速やかに廃棄されたいと言う気持ちと矛盾している。
ほんと、そうだ。
どう言い換えても変わらない、ほんと、そうだ。
関連
以下蛇足。
もう数年前だろうか。角膜だかどこだったか、とにかく、「パーツとしての」最長寿記録が更新された、ってニュースを何かで読んだことがある。
移植することで機能し続けたパーツがある、って話だったと思う。細かい数字は覚えてないけど、まあ例えば70歳で死んだ人の角膜を移植された人がその後60年生きたら、パーツとしては130年生きたよね、みたいな話。
命って何だろう、って、たまに思う。オレどうせ子孫残さないしな。
春の風 |
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itext | |
今日、芝生の上に、いぬふぐりの花が小さく咲いているのを見た。
バスを降りた帰り道では、場違いに咲くすみれのような、小さな濃い紫の花を見つけた。野生の雑草にしては可憐過ぎる茎と花弁は、誰かがうっかり種を落としたものだろうか。
家に近づくと、小指の爪の半分もなさそうな、淡々しい白い花を見つけ、今日の風の強さが少し気の毒なその姿に、目を細めながら歩き過ぎる。
2軒手前の家の猫が、私の姿に気づくとぴんとふさふさの尻尾を立て、とことこと近づいて来る。
春がやって来たのだ。
この前の、雪もない冬にすっかり甘やかされ、この冬はブーツの調達と雪道にひと苦労だった。歩いても歩いてもバス停に近づけず、往復だけでぐったりする日々が、どうやらほんとうに終わるようだ。
この街は、世界地図を誰かが気まぐれに針の先ででもつついたように、半径十数キロの、北国にしては異様なほど気候の穏やかな地域にある。
車で数分行けば暴風雨なのに、そこできっぱりと見えない柵で仕切られてでもいるかのように、こちらはちょっと風が吹いているだけだったり、少し北へ上がると、もう家から出れないほど雪が積もっていると聞いても、ここはなすったように白く粉雪が舞っているだけだったり、だからこそ、そこそこ人が集まり、それなりに大きな街にもなったのだろう。
特にここ数年は、南にあるはずの別の街々の方が荒れた天気に襲われていて、ニュースを見るたびに少しばかり気が引ける。
わざわざ選んでこの街に住み着いたわけではないが、この辺りだけがこんな風なのだと、この街で生まれ育った人々に言われて、ああそうなのかと、自分の幸運さをありがたく思う。
数日風の強いのに閉口していたが、どうやら春風のようだ。
リスたちが歩道を我が物顔で走り回り、木々の枝の先にはまだ芽吹くものは見えないが、そこもじきに緑であふれるだろう。
春が始まる時はいつも突然だ。昨日は冬の終わりだと思っていたら、今日にはもう春の半ばのように、そんな風にして、この街の春は唐突に始まる。
灰色と枯れた茶色に染まっていた街が、色とりどりになる。花たちは、何もかもを吹き飛ばすように茎を伸ばし、花弁を広げ、色をあふれさせて、やっと肩と背を伸ばして歩けるようになった人間たちを圧倒するのだ。
芝生に生える草花を、すべてまとめて雑草と呼ぶ味気ない人々は、その花々を大切には思わないようだが、雑草と呼びながらそれらを花と数える場所から来た私は、芝生刈り機のエンジンの音があちこちから響き始めると、首を刈られたたんぽぽたちのために、口を閉じてただ心を痛める。
春は、明るく楽しいだけではない。
外へ出始めた動物たちがあちこちで車に轢かれ、即死ならよかったのだがと、血の乾いた毛皮の残る姿を目の端にとらえて、車のない生活が始まってからほとんど高速へ出ることのなくなった我が身を、私はずるくありがたく思う。
自然は決して敵ではない私にとっては、春はただ歓びの季節のはずだが、巡って来た様々な命の在り様が、まざまざと見える季節でもある。
私たちだけが我が物顔に歩き回るだけではあるまいにと思うが、道路を横切るアライグマを避けて歩道を歩く親子を弾き飛ばしてもいいのかと、そう反論されれば黙るしかない。
春に見え始める命には、区別はないはずだが、その重さには確かに違いはある。私が自分の命を比較的軽いと感じると同じ程度に、人々は自分たち以外の生き物の命を、自分たちのものよりも軽いと思うようだ。
体の重さで命の重さを量るのはどうだと、愚かしく真剣に考えたこともあったが、それではますます道の端の草花や体の小さな生き物たち(道路で轢死する羽目になるのはほとんど彼らだ)が軽視されるだけになる。
鳥を捕まえた蛇が、自分の腕をやるから鳥を放してやれと言った僧に、「鳥の命はお前の腕の重さ程度なのか」と反論したという話は、一体いつどこで聞いたものか。
蛇の腹を満たす肉の量と思えば、僧の腕で足りるのかもしれないが、命まるごとひとつと思えば、一体何がどれほどならそれと等しいのだろう。
使える臓器を全部寄付して、残りは廃棄と言う形にでもしてはくれないかと、自分のことを考える。麻酔なしで解体されるのはごめんだが、解体後に生存が無理なら、そのまま放置して廃棄してもらえればあちらもこちらも助かるのにと、真剣に考えるのは世界に私ひとりと言うわけでもあるまい。
命を少しずつ、他の誰かに分けるという技術は、一体いつ生まれるのだろう。削った命が元に戻らないのだとしても、付け足したそれで誰かが少し先へ生きられるのなら、それはそれでいいのではないかと、私は無責任に能天気に考える。