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http://q7ny3v.sa.yona.la/1426 |
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一人称があんまり定まらない私。
小学校入学から中学時代:「ぼく」なんかね高学年に差し掛かるにつれ、男子はみんな「オレ」へと変遷する。乗り遅れた、「オレ」って全然自分と違う気がする肥大自我。まぁファーストネームで自称する痛い感じには陥らずに済んだ。ちなみに同級生の友達をみんなが呼んでるニックネームで呼ぶことも出来なくて、呼べないことを気付かれないように過ごす日々。
高校時代から大学そして就職後:家では「ぼく」同級集う環境では「ワシ」職場では「ワタシ」。フランクは自身に近い一人称「ワシ」に親しむがシチュエーションによってはふさわしくない、わざと押し通すことが自分イズムな気もしたり、しなかったり。友人のニックネーム呼べない問題はジョジョに解決に向かうが、全快には遠い。私物化ニックネーム押し通したりして。
最近:「ワシ」がオレから遠のいて、ちょっと「オレ」って言えるようになってきた家庭内。職場では「ワタシ」「ボク」を相手あわせで。
「拙者」、とか「拙」とか「ソレガシ」とかには陥らずにしのいでいるぞ。
http://x6a7u9.sa.yona.la/468 |
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皮が1枚200円てのは安くていいね
新宿まで行くと交通費+500だし
お茶にしよう |
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知らない街へ行くと、必ず喫茶店を探した。
紅茶が美味しくて、居心地の良さそうな、そこでしばらく本を読んだり書き物をしたりして過ごせる、そんな場所を見つけるのが好きだった。
住んでいた場所からひと駅奥へ行った、それなりに大きな街の、駅から真っ直ぐ行った、最初の大きな曲がり角の左側にぽつんとあったあの喫茶店、愛想のない外見のまま、店主は強面で無愛想で、けれど見たことも聞いたこともないような紅茶をずらりと揃えて、手作りのケーキが美味しい店だった。
私はそこへ6年ほど通い、遠方へ引っ越してからは行く機会がなく、随分前に店が失くなったことを知った。
今でも、あの店で初めて知った紅茶の名前と味と香りと、そして薄く粉砂糖の掛かったケーキの、手作りの素朴な甘さを鮮やかに思い出す。
喫茶店に気軽に通うことができなくなり(車がなかったり、喫茶店などない土地柄だったり、理由は様々だ)、それでも相変わらずお茶なしでは1日も過ごすことはできず、物を書く時には必ず手元に何かないと駄目だから、結局は自分で紅茶の葉を探し、あるいはスーパーマーケットで適当に箱入りのティーバッグをつかみ、飲めれば何でもいい。紅茶であれば何でもいい。私のお茶飲みなど、常にそんな程度だ。
前にも言ったような気がするが、砂糖は入れない。牛乳だけだ。クリームで我慢した時もあったが、今はもう無理はしないことにしている。紅茶はブラックでは飲まない。牛乳がなければ飲まない。ハーブティーは好みではない。
牛乳をたっぷり入れると、ぬるくなる頃に猫に飲まれてしまうので、マグにはシリコンの蓋をかぶせてある。カフェインと猫は決して混ぜてはいけない。
家だけでお茶を飲むようになって、外出先でお茶を買うことがなくなった。そうなる前に、自宅からすでに淹れたお茶を持って出る。中身はもちろんミルクティーだ。
ある時、コーヒーの類いは外で買うと言う人間と付き合いだしてから、私もそれに習うようになった。飲みたい時に、淹れ立ての熱いお茶が飲めるのは、確かに素敵なことだった。
この人間と付き合い始めてから、ふたりで使う金銭部分は私の管理下にあったが、私は現金をあまり持ち歩かないため、いわゆるポケットに入れて持ち歩く現金は向こうの管理下になり、コーヒーを外で買うイニシアチブは常にあちらの手の中にあった。
「紅茶いらない? コーヒー飲みたいな。」
そう言われれば、そうだねと一緒に店へ行く。コーヒーが買える店は、ほとんどどの曲がり角にもあり(やたらと教会とコーヒーショップの多い街だった)、この街全体が私たちにとっては自宅のキッチンのようなものだった。そんな時に、どうして自分の家でお茶を淹れようなんて思うだろう。
そうして私は、外で歩きながら熱い紅茶を飲むことに慣れ、ポケットから小銭を出して紅茶を買うことに慣れ、そして、自分が飲みたいと思う前に、誰かにそうやって問われることに慣れてしまった。
そんな私の目の前に現れたのが、かのスターバックスだ。そして私は突然カプチーノと恋に落ち、紅茶党でありながら、エスプレッソ系へも心を売ってしまった。私は裏切り者になった。
大抵のところでは、紅茶はティーバッグで出され、まれに葉で出す店もないでもないが、そんなところはごくごく稀だ。その点エスプレッソは、きちんと淹れない限り店ではメニューには載らない(もちろん例外はある)。
私は少しずつ、紅茶ではなく、他の飲み物を外では飲むようになった。
ある時、ある事情で、私はまったく外へ出なくなり、スターバックスへ行くのは、懐ろ具合だけではなく、精神的にひどく贅沢な行為になってしまい、台所で火を使うことさえできなくなってしまった一時期、私は誰かが外から持ち帰ってくれる紅茶やカプチーノで、お茶への飢えをしのいでいた。
紅茶のティーバッグがなくなっても、紅茶を淹れるための牛乳がなくなっても、自分では買いに行けない。そもそも、お茶を淹れるための湯が沸かすために台所へ行くことができない。台所へ行くために、階下への階段を降りることができない。最後には、湯を沸かすということ自体が自分ではできなくなってしまった。
自分の家にいて、私は自分で飲むお茶すら自分で用意できず、スターバックスの営業時間が拡張されたニュースに、私はひとり喜んだものだった。
私は今ひとりになって、自分で飲むお茶は自分で淹れることができる。出掛ける時には大抵紅茶持参で、週末の1日には、よくカフェラテを自分で淹れる。
私だけが思うことだろうが、実のところ味だけなら、恐らくスターバックスのそれよりも美味いと思う。時々改心の出来にひとりでにやにやして、次も同じように出来たらいいなと考える。
http://gt7u9x.sa.yona.la/1094 |
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どうしたんだ
仕事の後なのに、気分がいいじゃないか
どうしたっていうんだ
http://q7ny3v.sa.yona.la/1425 |
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黒田ニーサンが結婚相手とモメていて、日下部ボイド氏がツイッターでも誰か怒らせてて、まー楽しい日だった。
書き置き |
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家に帰ると、卓袱台の上に書き置きがある。電話の傍にいつも置いてあるいらない紙を大きさを揃えて切ったメモ紙に、一緒に置いてあるボールペンを使って、最初に私の名前が、きちんと宛名として記されていて、最後にはこれを書き終わった日付と時間と、そしてあの人の名前が書いてある。
時々、字を間違えたり、書き方を変えたりで、そこはポールペンで黒く塗り潰され、裏返しても何が書いてあったのかはわからない。
どこへ行く、誰と行く、何時に帰る、電話する、そんな連絡事項だ。単なる同居人の私たちは、特に取り決めたわけでもなく、こんな風に相手に書き置きを残す習慣をいつの間にか始めてしまっていた。
一緒に食事をすることになっているから、外出時の動向を知らせておくのは大切なことだったし、一緒に暮らす相手に対する礼儀だとも私は思っていたから、こうやってあの人に、短く書き置きを残すのはまったく苦痛ではなく、帰った時に誰もいない部屋の中で、そうやって白い紙片が私を待っていると言うのを、実は内心で気に入ってもいた。
ただいまと言って、お帰りと帰って来る。対面であたたかな食事を囲んで、他愛もないことを話しながら一緒に食べる。私たちは恋人同士でもなく、友人ですらなかったが、家賃と光熱費と食費と住む場所を分け合う相手として、互いのことを気に入っていた。
どこか跳ねるようなあの人の字は、美しくはなくてもきれいでしっかりとしていて、どれだけ急いでいる時も丁寧に書かれている。今日の書き置きに記された時刻は、家を飛び出して駅まで走らなければならなかった時間だ。目的の電車には間に合ったのだろうかと、私は胸の内でだけ苦笑した。
今日は帰らないそうだ。恋人と過ごして、明日の昼か夕方には戻る、だから明日の夕食は一緒だと、そう簡潔に記して、字間と行間の、普段よりやや乱れた印象を受けるのは、恋人と過ごす時間にすでに心が飛んでしまっていたせいだろうか。それとも私が、過剰に敏感にそれを嗅ぎ取ってしまうせいか。
私は明日の予定は何もないから、黙ってあの人の帰りを待ち、書き置き通りに帰宅するなら、一緒に夕食を作ることになる。遅くなるようなら、いっそどこかで落ち合って外食としゃれ込もうか。
まだあの人の書き置きを手に、私はふと、明日は午後にでも出掛けてしまおうかと思いつく。用などない。電車の距離に出掛けて、本屋でも映画でも、ひとりぶらついて来ればいい。
出掛けます。帰りは夕方遅くなります。ここに電話します。夕食は一緒に食べましょう。
あの人に宛てて、短く書き記して、壁の時計を見上げて時刻を確かめ、自分の名を書く。その紙片を、ふたりで食事をする卓袱台の上に置いて、私は部屋を出てここを無人にする。
あの人はただいまと、どこか幸せそうな空気をまとって帰って来て、この卓袱台から私の書き置きを取り上げる。読む。ちょっと肩をすくめ、時計を見て時間を確かめ、とりあえずはお茶でも淹れようと、服を着替える前にお湯を沸かしに台所へ行く。そうしてあの人は、私からの電話を待つ。
そんなやり取りを想像して、私は卓袱台にだらしなく肘をつき、膝を崩し、ひとりひっそりと笑う。
そんなことをしたら、きっと残して行く書き置きに、あれこれ下らないことを書き連ねてしまうだろう。何だかひとりで淋しかった、書き置きを残してくれてありがとう、今夜会えるのが楽しみ、そんな風に、自分でもよくわからないことをだらだらと書き流して、読むあの人が困惑するのを百も承知で、びっちりと細かな字で埋まった紙片を、卓袱台のきっちり真ん中に残して行くのだ。
それはすでに、用件を伝えるための書き置きなどではなくて、あの人に宛てた、私からの手紙だ。
ああそうか、あの人が出掛けるたび、私が出掛けるたび、私たちは手紙のやり取りをしているのか。
友人でも恋人同士でもない私たちは、毎日のように手紙を互いに書き送っているのだ。切手も封筒もない、ただ字だけが紙片に乗せられて、互いへ送られる、手紙。
文(ふみ)、と言う言葉を思いついて、私はまたひとりで笑った。
書いて、届けて、読んでくれる人がいることを、とても幸せだと私は思った。またあの人が、私に宛てて、書いて送って読ませてくれるのも幸せだ。
私たちはこうして繋がっている。恋人でも友人でもない私たちは、ただ住居を同じにするというだけの間柄の私たちは、恐らく他の誰よりも親密に、文字で埋まった小さな紙片で繋がり合っている。
私は、台所の仕切り近くに置いてある電話を振り返り、鳴る様子のないそれに、特に取り合うでもない視線を投げ、またあの人の今日の書き置きに顔を向けた。
胸に一度抱いてから、自分の私物を収めている棚の箱のひとつを開け、そこにその紙片を滑り込ませた。
まだほとんど空のその箱は、いつかあの人の書き置きでいっぱいになるだろうか。
閉めた箱のふたの表面を撫で、お茶を淹れるために、私は台所へ爪先を向けた。
Re: http://q7ny3v.sa.yona.la/1423
おまわりさんこっちです、このひとです |
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すまない、遅めの夏休みもらってちょっと浮かれて晩酌中なんだ…
ひたすら酒飲む&部屋の片づけ、思い出したようにコミ○ィア、程度で終わりそうだけど
http://q7ny3v.sa.yona.la/1424 |
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あー、「前にもこれ書いたな」みたいな気もする。
http://q7ny3v.sa.yona.la/1423 |
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混雑な乗り継ぎ駅でのこと。結構、女性は早足で歩くときに大きく手を振るのである。そこで思いついたアクティビティ、より早足で追い抜きを掛けタイミング合わせ後ろに降りだした手で股間を叩いて頂く、という。あんまり、ね。「なにが面白くて」みたいな。
http://q7ny3v.sa.yona.la/1422 |
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先の太平洋戦争で戦地になった島とかグーグルマップで眺める。資源も出なさそう水すらあるのか、補給の拠点になるのかどうやらって島々。そこを占拠したら本土からそこまでが領海ってエライのどかな紳士ルールが国際的にあって、それのために自爆も辞さずな体制だったのですかね。広大な海の広がりと御霊の無念を思いなんかガックリきた。
